「おまえさ、地味だから。パツキン(金髪)にでもしてきて。」

某ロックバンドに加入して、
初めての大きなライブ直前のリハーサルの後、
バンマス氏にいきなり呼び出されて言われたのは、

「おまえさ、地味だから。パツキン(金髪)にでもしてきて。」

でした。

後日、言ったご本人に話したら、
まったく覚えがないとおっしゃってたので、
たぶん、何の気なしに出たことばでしょうが、
まるでルックスに自信のなかった当時の私には、
本当にこたえました。

大事な大舞台。
毎日、めちゃくちゃ練習して、
ステージングから、衣装から、一所懸命考えて、
ダイエットもがんばって・・・

それでも、プロに努力賞はないんだと思い知らされ、
帰る道々、
お腹の底の方が締め付けられるくらい辛かったことを、
今でも鮮明に覚えています。

パツキンって。。。

そもそも、ロックファッションというのが性に合わない。
似合う、似合わない以前に好きじゃない。
金髪にするなんて、想像したこともありませんでした。

どうしろっていうのよ・・・。

家に帰って、ジェフ夫さんの前で泣き崩れました。

「ひどいんだよ。地味だって言うんだよぉ。
パツキンにしてこいとか言うんだよぉー。」

 

 

 

ジ「いいんじゃない。」

 

・・・。

 

やや間があって、ジェフ夫さんが言ったことばに我と我が耳を疑いました。

M「へ?いいんじゃないって・・・?なにが?」

ジ「そういうのもいいんじゃない」

・・・。

 

どう思います?奥さん。

普通さぁ、自分の奥さんが「パツキンにしてこい」とか言われたら、
旦那さんなら、「そんなの気にしなくていいよ」とか、言いません?

 

大槻啓之、ロックである。。。

 

そうして、ジェフ夫さんに勧められるままに、
自分で決めてたら、
せいぜい明るめの茶色くらいにとどまっていたはずの私の髪は、
見事、パツキン(金髪)になったのでありました。

美容院から帰ってきて、
お化粧落として、ドすっぴんになって鏡を見たときの衝撃。
ただのヤンキーです。

こんなんで、どうやって暮らしていくのよ。
ただのイカれた女じゃないのよ。

鏡を見て、また泣きました。

 

数日後、大先輩のギターリスト・北島健二さんが私の髪を見て、
「カッコいいね」と誉めてくれました。

「健二さん、でもね、すっぴんになって鏡見て、
こんなんでどうやって近所歩くんだろうって思ったら、
悲しくって、大泣きしちゃって。。。。」

そう訴えると、健二さん、クールにこう言いました。

 

「ロッカーが日常考えちゃだめだよ。」

・・・・。

やっぱ、北島健二もロックである。

 

この頃の私がパツキン(金髪)だったのは、
まぁ、そんなわけなんです。

 

あれから20年。。

3月28日(木)BEPP20周年Live@目黒ブルースアレイ。
来てね〜♪

【MISUMIプロフィール】
イギリスの伝説的アーティスト、Roy Harperのアルバム “DREAM SOCIETY”、米倉涼子主演映画「ダンボールハウスガール」のサウンドトラックほか、ロート製薬、サントリー『-196℃』、資生堂『アネッサ』のCMなど、ボーカル、バックボーカル、コーラスアレンジジャー、英作詞家として、500曲以上のCD,CM録音に携わる。
2000年~2010年、ベーシスト・鳴瀬喜博率いるURUGOMEに在籍。”Roc’s Egg”(WARNER MUSIC JAPAN)をはじめ、4枚のアルバムをリリース。
2018年自らのバンドDazy’sの1stアルバム”Dazy’s”をリリースした他、Guitar☆Man、VSOPなど、ライブシーンで幅広く活動している。

2004年より「マジカルトレーニングラボ」主宰。ワークショップ、執筆、講演、研修など、ヴォイストレーナーとして後進の指導にも力を注ぐ。2015年10月、ミュージシャン目線で書き綴る自己啓発ブログ『声出していこうっ!』(ブログB面)が月間10万PV達成。

MISUMIプロフィール詳細

 

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日本のジェフ・ベック?

ジェフ夫さんに初めて会ったのは、
今は亡き柳ジョージさんのレコーディングのお仕事でした。

「作曲はNobodyで、アレンジが大槻さんというギターリストの方で・・・」

マネージャーさんから、そんな風にお電話をいただいて、
出かけたとあるスタジオ。(どこだっけ?)

「よろしく。」といいながら、
握手のために手を差し出してきた、
長身&色黒&長髪の男性がジェフ夫さんでした。

当時、人気のあったバンド、”Nobody”の人だと勝手に勘違いして、
(あぁ、やっぱりメジャーデビューしている人は、ルックスがいいんだなぁ。)というのが第一印象。

それから数週間後に、
今度はおんなじ曲のフルバージョンを録るというので
桜木町ランドマークスタジオへ。

前のプログラムが押していて、
ランドマークの誇る、
立派で超広いラウンジで待つように言われ、
部屋に入ると、そこには、例の長髪&長身&色黒の、
ジェフ夫さんの姿がありました。

知らん顔して遠くの席に座るという選択肢も、
もちろんありましたが、
(なにせ、みなとみらい一望の、ホテルのラウンジのような部屋)
それも感じ悪いかなと、挨拶をして、
 斜め向かいぐらいの席に座りまして。

一通り挨拶を交わして・・・さて?

いつ終わるともわからない、前のプログラムの待ち時間。
なにか会話を・・・と思ったときに、
「大槻さんというギターリストの方で・・・」
というマネージャーさんのことばが頭をよぎりました。

それで、咄嗟に、自分が愛してやまない、
最愛のギターリストの話題を持ち出したわけです。

「私、ジェフ・ベックが、
全ての音楽家の中で、とにかく最高に好きで・・・」

その瞬間、ジェフ夫さんの目がきら〜ん✨

もちろん、その時は、彼が「日本のジェフベック」なんて呼ばれちゃってることも、知るよしもありません。

しか〜し、その咄嗟の一言がご縁で、
BEPPに加入することになり、現在に至るわけでございます。

人生って、ホントにわからん。

あれから21年。。。しぇ〜〜。光陰矢のごとし。。

相変わらずジェフ夫さんは長髪&長身ですが、
色黒とはちゃうな。。

まぁね−、21年分はおとなになりましたね〜(^^)

BEPP20周年ライブは3月28日(木)目黒Blues Alley Japan。

3月28日(木)BEPP20周年Live@目黒ブルースアレイ
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【大槻啓之/プロフィール】
1979年、とし太郎&リバーサイドのギタリストとしてデビュー。その後、後藤次利バンドへの参加を機にアレンジに興味を持ち、アレンジャーやツアーサポートなどの活動をするようになる。その後間もなく作曲活動も始め、浜田麻里に「Paradise」を提供したのを契機に、現在まで長年に渡り浜田麻里のブレーンとして活動。「Heart And Soul」、「Return To Myself」など一連のヒットシングルを手掛けたことで知られる。
2011年10月、自身初となるソロアルバム『play it loud…!』、2018年7月自らがプロデュースするバンドDazy’sのファーストアルバム『Dazy’s』を発表した。

作品参加アーティスト/浜田麻里、宇都宮隆、B’z、柳ジョージ、桑名正博、郷ひろみ、頭脳警察、観月ありさ、松本英子、影山ヒロノブetc…
大槻啓之プロフィール

 

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「やっぱカースケでしょ。」

カースケさんの名前を初めて聞いたのは、
他ならぬ薫ちゃんからでした。

まだまだアマチュアで、キャリアもぱっとしなかった私。
もちろん、ミュージシャンの知り合いもごくわずかでした。

ひょんな話から、
「薫ちゃんの思う、いいドラマーってどんな人?」と聞いたとき、
真っ先に薫ちゃんの口にのぼったのがカースケさんの名前でした。

「やっぱカースケでしょ。」

私にとって、薫ちゃんはまだまだ遠い存在だった頃のこと。
でも、今でもものすごく鮮明にそのことばが頭に残っています。

そんな、「やっぱカースケでしょ」は、
私たちにとって、今もやっぱり変わりません。

カースケさんはあまりに有名になっちゃったわけですが、
やっぱしカースケさんはず〜っと「うちのカースケさん」ということで。

まぁ、日本中でそう思っている人は山ほどいると思いますが、
なんせ、20年やってるんで(たまにだけど)、
奥様や、息子のよっちや、そのお嫁ちゃんともなかよくしてるんで、
そこんとこよろしく!(^^)

3月28日(木)BEPP20周年Live@目黒ブルースアレイ
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【河村カースケ/プロフィール】
10代前半の頃に結成したバンド「ぴかぴか」がコンテストで優勝したことをきっかけにプロの世界に入り、二十歳の頃からドラマーとして活動を開始[1]白井貴子& CRAZY BOYSのドラマー[2]。また90年代後半には人気ドラマーとなり、サポート・ミュージシャンとして桑田佳祐福山雅治藤井フミヤ椎名林檎氷室京介スキマスイッチ徳永英明松任谷由実星野源など、数多くのトップミュージシャンのアルバムやツアーに参加している[3][4]
(wikipedia)

 

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「華麗にピアノを弾く、 ノーブルな顔立ちの素敵な人」

トモさんと初めてお目にかかったのは、
Jam For Joyだったか、
藤原美穂さんのセッションだったか。

その時の第一印象は、
お世辞でも何でもなく、

「華麗にピアノを弾く、
ノーブルな顔立ちの素敵な人」。

あぁ、きっと、
ご幼少のみぎりから、
クラシックピアノなどをたしなんでいらしたんだわ。
やっぱり音大とかいらしたのかしら。。。
おうちにはグランドピアノとか、あるのかしらん。。。

そんな女たちの妄想をかき立ててしまうような、
物静かで上品な雰囲気。

「腕利きの、売れてるミュージシャンはルックスもいい」
という当時の私の、被害妄想とも言える勝手な偏見を、
再確認してしまった出会いでした。

その後、おそらくは1〜2回セッションでご一緒したものの、
BEPPをはじめるまでは、ほとんどお話したことはなく。

それまでは、私の中では、ず〜っと、
「華麗にピアノを弾く・・・」であり、
「物静かで・・・」でありました。

まぁ、一緒にバンドをやるようになってから、
いろ〜んな人間的な魅力を知って、
ますます大好きになるわけですが。

ちなみに、
「腕利きの、売れてるミュージシャンはルックスもいい」
という認識はいまだ崩れていません。

ちなみに、トモさんとジェフ夫さんの出会いは、
なんとまだ2人が20代そこそこのときとか。

実は二人が超若造の時の、
それはそれは初々しい写真がいっぱいあるんですが、
今度、トモさんに聞いて「いいよ」って言ってからアップします(^^)

<友成 好宏 プロフィール>
1958年8月6日生まれ。北海道滝川市出身。
高校在学中からプログレッシブ・バンドで活躍し、プロとして活躍を始める。
1979年、泉洋次&スパンキーに加入しレコードデビュー。1983年、角松敏生バンド結成と同時にメンバーとして加入、レコーディングやツアーに参加。スタジオ・ワークと同時に様々なアーティストのツアーやセッション・ライブのメンバーとして活躍している。
杏里、浜田省吾、村田和人、今井美樹、KAN、中島みゆき、浜崎あゆみなど、数多くのアーティストをサポート及びレコードセッションをつとめ、同時にライブにも積極的に参加するなど、日本屈指のキーボード奏者としての地位を不動のものとする。
YOSHIHIRO TOMONARI  WEBSITE

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実は山内薫さんとのおつきあいが一番長いのである。

薫ちゃんに初めて会ったのは、
私がまだ20代前半で、
うだつの上がらないアマチュアシンガーだった頃。

ちょっとお兄さんの薫ちゃんは、
すでに尾崎亜美さんや杉山清貴さんという、
有名どころのツアーをやっていた、
いわばエリートミュージシャン。

初めて会った日に、
バンド仲間大勢と一緒にごはんを食べに行ったんですが。

同じく活躍していた、若きミュージシャンたちと、
ツアーの話をしながら業界用語で盛り上がっていた姿が、
とってもカッコよくって、まぶしくって。
テーブルの隅っこで、
あこがれと羨望の入り交じった思いで見つめていたことを、
今でも鮮明に思い出します。

薫ちゃんは絶対音感も持っていて。
キーボードも弾けちゃって。
とにかく、ホントに音楽のことがよくわかっている人なんです。

だから、
ピッチやリズムに自信のなかった若い頃は、
彼の前で歌うのは、ホントに怖くって。

まさか、こんなに長い間、
そしていろ〜〜んなライブを一緒にできるようになるなんて、
夢にも思いませんでした。ホント。

それにしても若い〜。カッコいい〜。


<山内薫プロフィール>
18才の時に渡辺建氏に師事。大学在学中から、氏の紹介などによりサポートベーシストの仕事を始める。同時期にヤマハ渋谷店でもベース講座を受け持つ。その後、ツアーサポート、レコーディングの仕事を続けるかたわら、’90年頃からアレンジャーの仕事も開始する。
主なサポートアーティストは、杉山清 貴、EPO、尾崎亜美、福山雅治、小田和正、藤井フミヤ、角松敏生、加山雄三、一青窈、広瀬香美、平原綾香、NOKKO…etc.
山内薫ブログ『続・へ音の日々』


3月28日(木)BEPP20周年Live@目黒ブルースアレイ
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3月28日(木)BEPP20周年Live@目黒ブルースアレイ

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