『ある奴隷少女に起こった出来事』

ことばには記憶が刻まれる。

そのことばを学んだ瞬間から、経験や思考がひとつひとつ刻み込まれ、
ことばにその人なりの意味や深みを与えていくのだと思う。

「奴隷」ということばは、現代の日本社会で生まれた私にとって、
世界文学全集や映画の中だけに存在する、リアリティのないことばのひとつだった。

1994年頃のことだと思う。
とあるアーティストのサポートで、黒人ミュージシャンと共演した。

「これだからアメリカ人はねぇ・・・」

お酒の席で、下世話なジョークで盛り上がっている最中のこと、
笑いながらそう言った私を、2人は真顔で遮って、こう言った。

「MISUMI、ボクたちのことをアメリカ人って呼ばないでくれ。」

「え?だってアメリカ人でしょ?違うの?」

「ボクたちはアフロ・アメリカンだ。アメリカ人は嫌いなんだ。

「ボクの祖母はアフリカで捕らえられ、
そのままアメリカで売り飛ばされ、奴隷にされた。
ボクのファミリーは、けしてその歴史を忘れることはないし、
ボク自身、忘れるつもりもない。
憎しみを抱き続けるのはもちろん、間違っているけれど、
時間では癒やせない傷というのがあるんだよ、MISUMI。」

そのとき彼が口にした「奴隷」ということばには、
彼らの歴史が、記憶が、深く刻まれていた。

以来、私にとっても「奴隷」ということばは、
そのときの彼らの真剣な表情の記憶とともに、胸に深く刻まれることになった。

知人の翻訳した『ある奴隷少女に起こった出来事』には、
著者自身に起こった、忌まわしい出来事の数々が克明に刻まれている。

私にとって、「奴隷」ということばに、
またしても深い意味を与えてくれる一冊になった。

時間では癒やせない傷、
目をそらしてはいけない過去のあやまちって、
人間の歴史には、一体どれだけあるんだろう?

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