子どもの頃、父と一緒によく山に登った。
上り坂は苦しくて、暑さで汗が噴き出したり、霧で前が見えなくなったり。
できるだけ軽くしてきたはずの荷物が肩に食い込んで、
大切な水さえも捨ててしまいたくなる時もあった。
それでもその山道を登り続けられるのは、
登り続けてさえいれば、やがて頂上にたどり着けることを知っていたから。
高木限界を超えた地点でいきなり開ける真っ青な空。
頂上から見下ろす豆粒のような街並み。彼方に広がる海。
そして足元から吹き上げてくる風を感じる時の、たまらない心地よさ。
その至福の瞬間を求めて、躊躇うことなく、迷うことなく、
ただただ足を前に運んだものだ。
どんな山でもよかったわけじゃない。
いつも、その山でなくてはならない理由があった。
その頂上を極めるために正確な地図とコンパスを求めた。
何度も何度も、ルートと歩行時間を確認し、シュミレーションを繰り返した。
バックパックに詰める荷物を厳選した。
そのすべてが、山を登るという行為の大切な一部だったのだと思う。
新しい年のはじまりに、そんなとりとめもない想いが何度も頭をよぎった。
遙かなる山の頂きを見上げ、武者震いしている気分。
体力勝負の1年になりそうです。
<ご来光の拝めなかった2011年の富士登山の時の写真・・・そんなこともあるのが、山登り?^^;;>