集中力より「散漫力」

人間、集中力が大切だと、よくいわれる。
雑念を捨てて、ひとつのことに全身全霊を傾ける。
そうすることで、卓越した力が発揮できるという。

一方、『ビリー・ミリガンと24の棺』ではないけれど、
ある種の人間は人格や生活が分裂気味くらいの方が、
ひとつひとつにピュアな才能が発揮できるという見方もある。

私は集中力はかなりある方だと思う。
音楽に集中して生きていたときは、雑念も遊び心もなかった。
そのおかげで、確かに、そこそこの実力は発揮できた気がするし、
結果や評価も残すことができた。

でも、音楽だけに集中して、必死にもがき苦しんでいたときよりも、
さまざまな世界に視野を広げ、
二足も三足ものわらじを履きこなそうとてんやわんや始めてからの方が、
自分の生み出す音楽や歌の精度が上がってきた気がしている。

なぜか・・・

集中しすぎることで、雑念が増幅されることもある。
不安や疑心暗鬼や自己嫌悪や。。。そうした魑魅魍魎に取り憑かれて、
私という人間の弱さがむき出しになり、
それが、アーティストとしての力を弱めていた気がする。

多方面で、それぞれ結果を残そうと振り切っていると、
ひとつひとつが真剣勝負であるがゆえに、
思考が目一杯過ぎて、雑念など入って来る余地はない。

自分自身を音楽というメジャーだけで計ろうとしないことで、
逆説的ではあるけれど、
自分自身と音楽との距離感や、関係性がはっきりと感じとれるようになる。

だからこそ、音楽と相対したときに、本当に純粋に心地よいと感じられるし、
どんなことをやっているときよりも、
圧倒的な自信と確信に満ちて、それを心の底から楽しめる。

結局私は、少々分裂気味の、変わり者なのかもしれない。

そして、歌うたびに、まだまだ自分の中に新しい自分を発見して、
人間ってすごいなぁ、私ってやるなぁ、と思うあたり、
勘違いぶりと、思い込みぶりは、何をしていても健在である。

死ななきゃ治らないのである。

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