年齢の制限なんか、単なる幻だ。
2016/05/02
中学のときのこと。
当時、クラスで常に成績の1〜3位の上位を争っていた、仲のよい友人がいました。
当時通っていたのは穏やかでよい私立女子中学ではありましたが、
私をふくめ3人とも、自らの意志に反して、
その学校に通わざるを得なかったというのもあり、
いつも学校にも人生にも不満を感じていました。
生意気盛りの女子中学生。
しかも、3人とも「私たちは他の子たちとは違うの」と、
ドラマチックに自分たちのことをとらえていたのもあり、
毎週、机を自由に並べられる美術の制作の時間になると、
怪しげなアート作品を制作しながら、
ずいぶんと激しい口調で人生を批判していたものです。
その頃の私たちのお気に入りのテーマは、「何才で死ぬか」。
当時、14〜15才くらいだったでしょうか?
人生は、それはもう果てしなく、つい2〜3年先が永遠のように感じられます。
「18才までに死にたい」
当時の私が強く激しく主張していたことです。
「19才になると、なんか、もう美しくなくなる気がする。
20才過ぎたら、もうおばさんじゃない?
面白くもない顔をして、おめおめと生きるなら、私は18才の美しいうちに死にたいわ」
うち1人が同意し、もうひとりは、「24才で死にたい」と言い、
そこから3人で、思い通りの年齢で死ぬにはどうしたらいいか、などという、
具体的な死に方の話まではじめたところで、
生徒間を歩いていた美術の先生に、たしなめられたのを記憶しています。
生きたくても生きられない人がたくさんいる世の中で、
そんな話をするだけでも命を冒涜していると思われると思いますが、
生意気盛り、ドラマチック盛りの中学生のこと、お許しください。
さて、当然、18才で早世するなどと言うばかげた夢が(幸いにも)かなったわけもなく、
私は19才になってもおめおめと生きていたわけですが、
最初に年齢の本当の重さを感じたのは、その19才のときでした。
「10代で美しく死ぬ予定だったのに、10代が終わっちゃう」
というプレッシャーはなかなかなものでした。
当時、大学で習ったばかりの「マージナルマン」ということばが、
いつも自分の存在そのものを表すことばとして、頭の中にありました。
おとなでもない、こどもでもない。
社会に属しているのでも、親に守られているのでもない。。。
社会的にも一人前のおとなと認められる20才になる一歩手前の、
不安定な気持ちは忘れられません。
これから、どうしていこう?
どうしたらいいのだろう?
将来が見えない時期だったからこそ、年齢を重ねていく怖さもひとしおでした。
さて、次の年齢にまつわる記憶は音楽学校に通い始めたときのことです。
大学4年になったばかり。20才〜21才だったと思います。
同じ学校に社会人で歌を目差している人がいました。
就職して、歌があきらめられなくて、歌を習っているという女性。
当時25才だと言っていました。
その頃の私にとっての年齢の節目は24才。
25才になったら、もうゲームオーバー。
そう勝手に思い込んでいたので、
どうして25才にもなって、歌を目差そうなんて思えるんだろう?と、
素朴に疑問を感じていたものです。
当然、他人への不寛容は自分にかえってきます。
生き続ける限り、誰もが同じ年齢を踏むのです。
おかげで私の24才は本当に惨めでした。
「女はクリスマスケーキとおんなじ。
24日まではよく売れるけど、25日になったら、誰も見向きもしない。
26日になったら捨てられるだけだ。」
そんなことを冗談めかして言われました。
歌のキャリアもまだまだイマイチ。
結婚できる相手もいなかった私自身は、それはもう、
自分自身でかけた「24才の呪い」に痛めつけられたものです。
そうして20代の後半は、一歩歩むごとに重たく、
そのピークは29才を迎えるときにやってきます。
しかし、です。
今日の、この長いお話の一番重要なのはここからです。
30代、めっちゃ楽しいんです。
人生でこんなに充実しているときがあろうかというくらいです。
技術も、キャリアも充実し、
向いている仕事に出会って、日々を楽々と楽しく、バリバリこなす。
それまでなにかと自分をディスってきた上の人たちにも文句を言われなくなり、
後輩たちが自分を尊敬してくれるようにもなる。
やればやるほど結果が出てくる時期でもあります。
働いていれば、お金もそこそこ思い通りになるでしょう。
仕事が楽しい。プライベートが楽しい。勉強が楽しい。
思うままにキャリアアップも可能です。
やがて30代も後半を過ぎると気づきます。
年齢の制限なんか、単なる幻なのだと。
多少の変化はもちろんあります。
これからもあるでしょう。
基礎代謝は減り、メタボリズムは下がり、お肌の水分量は減り、
脳の回転も少し悪くなるかもしれません。
体力、気力も確実に落ちます。
それでも、それまでの人生の叡知の積み重ねに比べたら、
そんな損失などなんでもない。
「自分自身の可能性」に至っては、
何才になろうが50% vs.50%(フィフティXフィフティ)であることに変わりはない。
あきらめなければ一生挫折もない。
年齢は「State of mind」(心の持ちよう)に過ぎません。
その時に与えられた条件の中で、ベストをつくす。
目いっぱい楽しむ。
そして、制限や限界など、自分でつくらなければ、一生前途洋々なのだと。
少なくとも命ある限り、そう信じていたい、信じていようと思うのです。
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