50分の2の法則
2015/12/20
「世の中の“おもしろいヤツ”、“デキるヤツ”の存在確率は50分の2である。」
高校時代からの持論です。
当時50名もいたクラスメイトの中で、
「こいつはデキる!」
「この子と話してるとおもしろい!」と私を刺激してくれた子は、
毎学年せいぜい1人くらいしか現れませんでした。
こんなことを言うと、すごくおごって聞こえるかもしれません。
まぁ、生意気盛りのロックな高校生の考え方と思って、お許しください。
当時通っていたのは、中学からの持ち上がりの女子校。
親に自分が行きたい学校を受験させてもらえず、
納得しないまま通っていたこともあって、いつも不満で満ちていました。
「この学校には50分の1、
つまり、1クラスに、自分の他にもうひとりくらいしか、おもしろい子はいない。」
そして、いつかもっと優秀な人たちが集まるコミュニティに入れば、
もっともっと、その確率は上がるはず。
そう信じて疑いませんでした。
実際、学外の優秀な男子校の生徒たちと、頻繁に遊ぶようになって、
その持論は信念になってゆきました。
おもしろい人たちが集まる場所に属せる自分になろう。
プロフェッショナルと言われる人たちの中に入ろう。
そんな風に、思ったものです。
しかし、時は流れ、音楽のプロとなり、
さまざまな人と出会い、仕事をして行くうちに、
50分の2という確率は、全然変わっていないことに気づきました。
この人はおもしろい!この人は私に刺激をくれる!
そんな人に出会えたのは、やっぱりせいぜい50人にひとり。
やがて、年齢を重ね、プロの世界にも淘汰が進み、
優秀なプロフェッショナルばかりに囲まれるようになっても、
起業家たちや、著者のコミュニティに参加するようになっても、
その確率は、多少の誤差はあるものの、劇的には変化しない。
つねに50分の2なのです。
理由は、おそらく、
さまざまなコミュニティに属する上で、自分自身も学習し、成長しているから。
ちょっとやそっとのことでは、感動しない、
刺激に耐性がついてしまうからではないかと、勝手に分析しています。
つまり数年前なら、10分の1とか、5分の1とかに感じたであろう、
さまざまなコミュニティにおける「おもしろいヤツ存在確率」は、
自分の成長とともに、変動したのだということになります。
結局、この50分の2という確率は、今のところ不変。
もっともっと、この確率が上がるような場所に自分をおきたければ、
日々、自分自身を磨き上げ、精進するしかありません。
いや、確率が上がるのは、優れたコミュニティに属すからとは限りません。
自分のパワーや、学習力が落ち、自己評価が落ちて、
まわりの人ばかりがすごく見えてしまう、ということも起きうるわけです。
そんな日が来ないよう、アンテナを立て続けることも、また修行。
さらに、“デキる”“おもしろい”と感じる基準は人それぞれみんな違います。
自分を高めてくれる出会いを求めるなら、
自分の価値観を研ぎ澄まし続けることも大切です。
そして、そして、
自分自身も誰かの50分の2になれるような人でいたいと思うのでした。
関連記事
-
「明日っからがんばろう」の「明日」は一生来ない。
「明日っからダイエットしよう」 「明日っから練習がんばろう」 「明日っから早起き …
-
人間の記憶は消えない?
「人間の記憶は消えない」という話を 何かの本で読んだことがあります。 実は、脳は …
-
風邪に克つ方法
普段、どんなに目の前でゲホゲホやられても、 「そんな風邪は絶対にうつらない」、と …
-
歌と「向いてない」とクソまずいケーキ
「歌がうまくなりたいんですけど、なにをしたらいいですか?」 と質問されると、反射 …
-
バンド仲間の悪口は言わない
もう何十年も前のこと。 大好きなメンバーと、かなり楽しくやっていた …
-
「表現したい」という欲求は、 それが可能な人にのみ与えられるエネルギー。
「クリエイティビティの源は何ですか?」と聞いたら、 「リビドーですよ」と答えたア …
-
それで、いい声、出せますか?
先日、とある生徒さんのレッスンをしていた時のこと。 ずいぶん小柄な彼女なのに、 …
-
「いいおとながトラウマと向き合う」
思い出すのもぞっとする、 考えただけで嫌な気分になるようなことが、 人にはいくつ …
-
一瞬一瞬を大切に、大切に生きる。
ブログを書くようになって、 日々、自分の過去の記憶をたどっています。 ところが、 …
-
このレースに勝ちたいか。 そもそもレースに出たいのか。
以前、 「最近の運動会では徒競走の順位がわからないようにしていて、 昔のように着 …