「自分じゃなくなりたい」?
「自分が、○○だったらよかったな。。。」
こんな風に思ったことのある人、
いや、思ったことのない人は世の中にどのくらいいるのでしょう?
こども時代の「○○だったらよかったな」には、3つのパターンがあります。
1つは、「おかあさん」や「おとうさん」
「おとな」と言った、「自分の延長線上にあるものにあこがれる」。
2つめは、スーパーヒーローや、スーパースター、
スポーツ選手などのように、「自分を越えた存在にあこがれる」。
そして、3つめのパターンは、「自分以外の誰かにあこがれる」です。
人にもよるでしょうが、
個人的には、自分以外の誰かへのあこがれは、
おそらく一番根深く、一番長く続くと考えています。
お金持ちのこどもに生まれたかった。
家族の仲がいい家に生まれたかった。
見とれられるような美人に生まれたかった。
身長が高い、スタイルのいいこどもに生まれたかった。
スポーツ万能に生まれたかった。
チヤホヤされる華やかな子に生まれたかった。
天才、秀才、と呼ばれる、頭のいい子に生まれたかった。
欧米人に生まれたかった。
帰国子女になりたかった。
絶対音感があるこどもに生まれたかった。
芸能人や有名人のこどもに生まれたかった。
都会に生まれたかった。
緑に囲まれて育ちたかった。
・・・etc.etc.
自分が大嫌いだった頃、友達に、
「整形なんて生やさしいもんじゃなくって、
脳だけ残してカラダ全取っ替えしたい」と言ったことがあります。
友達は言いました。
「それって、自分じゃなくなりたい、って言ってるのと同じことだよね?」
自分じゃない自分になりたいと思うことは、
不幸であると同時に、とても不毛なことです。
自分でない自分になったとき、
最早、「自分でなくなった」ことに意味はなくなるわけですから。
以前、若い女子に超人気の雑誌のモデルさんがボイトレに来ていたことがあります。
レッスンをしていても、見とれてしまうような美しい顔。
ホントに、コブシくらいの小さな顔に、
大きな目とつんととがった形のいい鼻がぎゅっと詰め込まれているのです。
それでいて、気さくな性格の彼女に、
「しっかし、一体全体、どうやるとそんなに可愛い顔に生まれられるのかしらね〜?」
と冗談めかして言うと、彼女は、
「モデルなんて、み〜んな自分のことが大っ嫌いで、
私も、自分の太すぎる腿とか、超コンプレックスで・・・」
と、別に謙遜しているという風もなく言うのです。
「でもね。これも私の一部なんで。」
結局、今の自分を愛しきれる人が一番強い。
自分が自分である意味を、
ちゃんと理解して、その役割を存分に果たせる人が一番すごい。
自分を愛せる人にしか、できないことがあるのだと、
ここへ来て、やっとわかった気がしています。
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