「情報過多」なのではなく、「思考過多」。
毎日、ものすごい量の情報にさらされています。
朝、PCを立ち上げ、webを開いた瞬間から、
携帯の電源を入れた瞬間から、
ポストを開けた瞬間、
家から一歩足を踏み出したその瞬間から。
新聞、テレビ、ラジオから、
出会う人、すれ違う人、乗り合わせた電車の広告、
街で目にする看板やポスター、
コンビニや本屋、さまざまな店の店先にならぶ商品から。
有益なものから有害なもの、
重要なことから、どうでもいいこと、
まさに求めていたものから、知りたくなかったもの・・・
ものすごい量の情報が、日々自分の中を、通過ゆきます。
こうした、情報社会に拒否反応を示し、
意識的に遠ざかる人もたくさんいます。
しかし、そこはやはり、1人でも多くの人に自分自身や、その作品、
パフォーマンスを知って欲しいと思う表現者、クリエイター。
マイナス面を差し引いても、
あまりある恩恵を手に入れられるものである以上、
大事につきあっていく方法を学ぶことが必要です。
問題なのは、情報の量や種類ではない。
情報は、あくまでも情報であって、
なんの感情も持たなければ、心に引っかかることもなく、
ただ目の前を通過していくだけです。
通過していく情報にどんな感情を乗せるかは、受け手次第なのです。
痛ましい事故や事件のニュースに感情を揺さぶられて、
怒ったり、哀しんだりするのも、
恐ろしい災害のニュースに同調して、
恐怖や不安にかられるのも、
裕福そうな成功者や幸せそうな若者を見て、
妬ましい気持ちや憂鬱を覚えるのも、
すべて、自分が選び取っている感情。
そうした感情にともない、さまざまな思考が働き出すことで、
毎日の生活が多忙で、煩雑なものになっています。
つまり、情報過多なのではなく、思考過多なのです。
垂れ流されるゴミのような情報に、いちいち一喜一憂していては、
1日は何十時間あっても足りません。
まして、聴きたくもない話に気持ちを揺さぶられたり、
知るほどに不愉快になるような話をどんどん追いかけたり、
どうでもいい議論に巻き込まれて消耗したり・・・
すべて、「単なる情報」に過剰反応することによる、
思考過多の弊害。
必要なときに、必要な情報を取り出し、
その中から最も、有益なものを選び出すことも大切な技術なら、
不要な情報に対して、思考や感情をブロックし、
自らは無反応なまま、目の前を通過させていくことも、
また重要な技術であり、知恵。
時に難しいことではあるけれど、
それこそが、情報社会をタフに、ハッピーに渡ってゆく
秘訣なのではないでしょうか。
関連記事
-
-
引き返せない場所へ、自分を連れて行け!
うるゴメ時代。 私にとっては、バンドでのメジャーデビュー作品となる、 アルバムの …
-
-
「強制OFF日」=ジャミーデーをつくる
命の次に大好きな音楽が仕事になった20代の頃は、 24時間音楽のことが頭から離れ …
-
-
「道場破り」「ゲリラ戦」「修行」・・・?
アマチュア時代、ちょっとでも自分の顔を売りたくて、 いろんな人のセッションやライ …
-
-
「好き」をどこまでも追いかける。
「好き」という感情くらい強烈なエネルギーを持つものはありません。 どんなに疲れて …
-
-
ことばってムツカシイ。
「うっそぉ〜」というリアクションが流行ったのは、 80年代だったでしょうか。 「 …
-
-
15分間の名声(15 minutes of fame)
「誰もが知っている有名人」は、 自分が有名であるという認識こそ、もちろんあるけれ …
-
-
風邪に克つ方法
普段、どんなに目の前でゲホゲホやられても、 「そんな風邪は絶対にうつらない」、と …
-
-
「君たちには問題意識というものが足りない!」
「君たちには問題意識というものが足りない!」 大学4年の時、ゼミの担当教授が、 …
-
-
歌と「向いてない」とクソまずいケーキ
「歌がうまくなりたいんですけど、なにをしたらいいですか?」 と質問されると、反射 …
-
-
「感覚の違い」を教えることが、一番難しい。
家の近くのチェーンで有名な定食屋さん。 最近、どうもようすが変わってきました。 …
- PREV
- 「人」は最強かつ、最も恐ろしいメディア
- NEXT
- パッションこそが推進力

