記憶に残る「デキるやつら」は一体何が違ったのか?
かつて、教えていた音楽学校では、ヴォーカルの授業を
定期的にインスト科の生徒たちにバンド形式でサポートしてもらっていました。
先生になりたてだった私は、
私自身、楽器のことはよくわからないくせに、実に注文が多いので、
インスト科の主任の先生から、
毎回、私の無茶ぶりに耐えうる研究生や優秀な生徒たちが送り込まれて来ました。
当時の私は(まぁ、今もですが)、
学生を学生として扱わないようなところがあって。
だって、一歩外へ出れば、学生だろうが、ベテランだろうが、
みんなおんなじ土俵の上のミュージシャン。
共通言語こそ多少の違いはあっても、
若いから劣っているとか、ベテランだからなんでも知っているとか、
そんなこと、「関係ないじゃん」と思っている。
それは若者に対するリスペクトであるわけですが、
同時に、ものすごくプレッシャーを与えているらしいのです。
みんなEVEN、つまり平等に扱うということは、期待値も同じ。
まして、音楽学校で2年以上みっちり音楽ばかり勉強しているわけだから、
もう、プロ扱いでいいと、勝手に決めていました。
そんなので、課題曲をバンドが演奏してくれるときは、
常に、歌いやすい、気持ちいい演奏を期待するわけで、
(なんと言ったってサポートの方たちなので)
イケてなければ、「わ。かっこ悪いね。これじゃ歌えないわ。」と、
演奏を止めてしまったりしました。
しかも、当時の私は無邪気にそんなことを言い出すだけで、
具体的になにがどうイケてないのか、
どうやって演奏したら、それっぽくなるかなんて説明できなくて。
わかるのは、
「かっこいい」か「かっこ悪い」かだけ。
いまひとつしっくりこないときは、
その演奏にあわせて歌って、グルーブをつかませたりもしましたが、
どうにもこうにも、イケてないときは、
「先生に教えてもらってきて」とお願いしたり、
まぁ、もう少し(?)きついことも言いましたかね・・・
そんなのでずいぶん、恐れられていたわけです。
しかし、ここでハッキリと言っておきたいのは、
同じ条件なのに、ばしっと、一発でカッコいい演奏をする、
「デキる生徒(やつら)」もいた、ということです。
そして、今でも記憶に残る「デキるやつら」は、
確実に卒業後、活動の場を広げています。
では、「デキるやつら」は一体、何が違ったのでしょう?
1.準備が違う。
課題曲は1~2週間程度前から配られています。
「たかがヴォーカル科のサポート」という態度で、
授業当日、譜面をガン見していた子にセンスのあるプレイができた子はいません。
音源を完コピするだけでなく、音色や楽器にまでこだわったり、
自分の見せ場をそこかしこに盛り込んできたり・・・
どんな小さな機会でも、徹底的に準備することの積み重ねが、
大きなチャンスにつながるのです。
2.インプット量が違う。
逆説的ではありますが、
配られる課題曲だけを聴いていたのでは、
その曲の解釈を深めることはできません。
同じ時代の音楽や、同じミュージシャンの音楽、
またはその周辺ミュージシャンの音楽などを、
貪欲に徹底的に聴きまくる。
センスは、生まれつき備わっているものではありません。
センスのある子は、センスの磨き方を知っているんです。
3.練習量が違う。
うまい子は、練習量が違います。
これはもう、絶対的な事実です。
「10000時間の法則」が事実と仮定するなら、
誰もが10000時間必死に練習すれば、トップレベルになれるはず。
つまり、8~9才から毎日楽器を3時間練習している子は、
18才になるまでに、この10000時間を消化している検討になります。
スタート地点がそこなら、その時点で大差があっても仕方ありません。
しかし、音楽にコミットして、毎日10時間取り組めば、
たった2年半で10000時間に到達できる。
追い抜くことも夢ではありません。
練習は裏切らない。
日々、実感する事実です。
いかがでしょうか?
学校というものに慣れるに従って、
私の生徒たちに対する期待値も多少トーンダウンし、
ずいぶん生徒たちには寛容に接することもできるようになりました。
しかし、今でも、「デキるやつら」の割合は変わることなく、
私自身を感心させてくれます。
そして、そんな「デキるやつら」に出会う度、
そうでもない子たちに、
寛容に「うん、それでいいんじゃない?」と言ってしまうのは、
私の怠慢なのではないかと思ってしまうことさえあります。
本当の正解は、たぶん10年後くらいにわかるのかもしれませんね。
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Comment
>そうでもない子たちに、
> 寛容に「うん、それでいいんじゃない?」と言ってしまうのは、
> 私の怠慢なのではないかと思ってしまうことさえあります。
そもそも趣味でやっている生徒なら、「それでいいんじゃない?」でも良いかと思います。趣味レベルの音楽だって、楽しくやることが、その生徒の人生を豊かにするので!
しかし、プロ志向の生徒なら厳しい姿勢こそが正解と思います。
「これでいいんだ」と勘違いさせることは罪。
厳しさに負けるとしたら、その場は良くても、結局プロで通用しない。それを知ってから違う道を探そうとしても遅いかもしれないですしね。
それに、本当のプロと一緒に仕事で演奏したら、要求レベルは厳しいはず。「それでもいいよ」と妥協はしないはず。学生のうちに厳しさを体験させてあげること、何とか乗り越える経験をさせてあげることは、指導者として、絶対正解ですね。