書くことについて、思いきり語ってしまった。
2015/12/20
昨年秋から「ことばの断捨離」と位置づけて、
ブログを綴っているわけですが、
書くほどに、音楽は、歌は、
そしてプロフェッショナルであるということは、本当に深い、
さまざまな要素がからみあって成り立っているのだなぁと、
しみじみ思います。
だから、語りたいことは、書いても、書いても、書き尽くせません。
「あんなに毎日書いていて、もったいなくないの?」
などと言っていただくこともありますが、
私が書いているのは、真実。
少なくとも、私が真実と信じることであって、
誰も知らないシークレットなんかじゃありません。
人類が何万年も進化していない以上、
歌や音楽に関して、誰も聞いたこともないようなシークレットなんか、
存在しないんです。
私は、ただ、それを言語化して、確認しているだけ。
だから、読んでくださる方、
共感してくださる方が、たくさんいるということは、
本当にありがたい事だと思っています。
歌うことを人に教える、語る以上、
自分自身のプロフェッショナルとしての経験や技術、
そして、ヴォーカリストとしての資質が問われることは、
当たり前のこと。
たいしたやつでもないくせに、生意気なこといいやがって、と、
面白く思わない方もいるでしょう。
それでも、どんな風に人に思われるかということよりも、
自分が人に何を与えられるかということにフォーカスし、
虚構のない、一時の思いつきでない、普遍的な内容を心がけています。
届けたい人たちの顔を心に思い浮かべ、
誠心誠意書いています。
プロだからすごいんじゃない。
いっぱい勉強して、なんでも知っているから偉いんでもない。
超絶技巧だから絶対というわけではないし、
有名だからと尊敬に値するわけでもない。
だからといって、「無名だから何だ?」と開き直るのも痛々しい。
経験則だけで何かを語ってもダメだし、
頭でっかちな知識だけを押しつけたって意味はない。
こんなにすごい仕事をいっぱいしてきました、っていうのも、
一緒に仕事をした有名人の名前を並べ立てるのも、
過去の栄光にすがるようで、もの悲しい・・・
語る価値のあることを、語れる人間でいるために、
今の私にできることは何か?
伝えたいことを過不足なく伝えられるような言葉を、
今日の私は選べているか?
そんな自問自答を繰り返す日々です。
何年か後に、読み返してみれば、
顔から火が出るようなこともあるでしょう。
「ああ書いたけど、間違ってました!」と、
あやまることもあるかもしれません。
私にとって、書くことは勇気です。
書くことは決意であり、自己表現のひとつでもあります。
そんな風に、今日もPCに向かっているのです。
なぜか、ひどく、
自分が書くことについて、語りたくなってしまった夜でした。
今日も読んでくださったあなたに、心からの感謝を。
関連記事
-
-
自分の人生の価値を過小評価しない!
人にものを教える仕事がしたいと思ったら、 真っ先にすべきは、自分のプロフィールを …
-
-
もっとオモシロく教えてください。
大学時代、出席していた授業の9割は、 わからないというのじゃなく、つまらない。 …
-
-
人間関係は「見極め」と「覚悟」なのだ。
最近、「あぁ、なんでこの人は、わかんないんだろう。」と、 苛立つことが立て続けに …
-
-
一生ヴォイストレーナーのいらない人になる。
「歌なんか、人にならうもんじゃないだろう。」 そんなことばをどれだけ言われてきた …
-
-
成長に痛みが伴うのは、 本気度を試されているから。
高校1年の夏だったと記憶しています。 手足が痛くて、眠れない夜が続きました。 筋 …
-
-
よき時代のよきものを、 いい形で後世に伝える方法
高校時代、何が嫌いって「古文」の授業くらい 嫌いな授業はありませんでした。 使わ …
-
-
パッションから目をそらさない!
「え?MISUMIさん、そこまでやるんですか?」 何度言われてきたかわからないこ …
-
-
「一部」は「全部」
足の薬指を骨折したことがあります。 発熱まではいきませんでしたが、 一日中、なん …
-
-
すべては「可能」であり、「正しい」は自分が決めるのだ。
「クラシック」という音楽のイメージに、 ヨーロッパ的華やかさと優雅さを重ね、 妄 …
-
-
発信することは、ライブ・パフォーマンス。
「毎日、すごい勢いでブログをあげてるね」 最近、そんな風にいわれます。 しばらく …
