「プロの理想」を押しつけちゃいかんのだ。
その昔、一緒に曲をつくるためよく入り浸っていた友人のギターリスト・K氏の家には、時折、女性がギターを習いにやってきました。
彼がギターを教えている間、私はキッチンで歌詞を書いていたものです。
レッスン時間は、たぶん1時間くらい。
隣の部屋からは、某ロックの名曲のイントロのアルペジオが、延々と聞こえてきます。
レッスン時間中も、彼は時折、カジュアルにキッチンに来ては、「今、練習させてるから」と、たばこを吸います。
そして、彼が部屋に戻って行っても、ひたすら、イントロのアルペジオが続くのでした。
その後、お互いに忙しくなったんだったか、なんか言い争いをしたからだったか、1年近く彼と疎遠な期間があって、久しぶりに彼の家を訪れると、また、件の女性がレッスンにやってきました。
私が例によってキッチンで歌詞を書いていると、隣の部屋からは、またしても、例のアルペジオが聞こえてきます。
まるでタイムスリップしたかのごとく、同じ空間で、繰り返される、あのイントロ。。。
「ねぇねぇ。まだあの曲のイントロやってるの?」
「だって、弾けるようにならないもんは仕方がないよ。あそこがちゃんと弾けなきゃ、先には進めないから」
うっそぉ。。。
一度も顔を合わせたことがない彼女の顔を想像しては深く同情した、その直後のこと。
ある日ふと耳に入った、ヤマハ音楽院の研究科の教え子たちの会話がフラッシュバックしました。
「MISUMIさんのレッスン、やばいよ。俺なんか、まだ4小節以上歌わせてもらってないんだぜ」
「え?お前、もう4小節も歌わせてもらってんの?そりゃたいしたもんだ」
レコーディングの現場で、1フレーズ、1小節、1音と、重箱の隅をつつきながら、「今のベスト」を切り取ろうとすることが日常になっている私たち。
1音のクオリティが上がらなければ、全体のクオリティは上がらない。
ツカミがカッコよくキマらなきゃ、曲を制するなんて毛頭無理だ。
「カッコいい!」と「そうでもない」の微差は耳とカラダで学ぶんだ…
これぞプロ論。
プロフェッショナルである私たちが、プロフェッショナルを目指す人たちに徹底して伝えたいこと。
しかしね。
これって、合格点を取りたい一心で学びに来ている学生を相手に、夢中で数学論をぶちかます数学教授などと共通の危うさはないのか。
数学の美しさとか、方程式の奥深さとかを伝えることは、もちろん重要だし、興味深いことかもしれないけれど、「1点でもポイントを上げて合格点を取りたい」という彼らの思いに応えられなければ、教えるプロとしては失格なのではないか。
そんな思いが芽ばえました。
学ぶ人が、今、何を求め、時間とお金と労力をかけてレッスンにくるのか。
日々、ヒアリングし、自問しながら彼らのゴールまでの道のりをデザインする。
そこに、プロとしての信念や知識をふんだんに盛り込み、深みを出して行く。
理想のレッスンを、今は、そんな風に描いています。
あれから十数年。いや、20年以上の時が流れました。
彼女は今も、あのイントロを弾いているのかな?
あの曲、ちゃんと最後まで弾けるようになっているといいな。
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