「欠落」はことばではなく、行動で埋める
2015/05/11
歌うこと、話すこと、書くことを通じて、日々、ことばと向き合っていると、
ことばの持つ、パワー、エネルギーに圧倒されます。
ひとつのことばが、人を天にも昇る気持ちにさせたり、
奈落の底に突き落としたり。
だからこそ、人に向けて発されることばは、慎重に選ばれなければならない。
だからこそ、ことばに載せるメッセージは、常にポジティブなものであって欲しい。
しかし、時に人は、ことばを自分の欠落を埋めるために発してしまいます。
たとえば「言い訳」。
遅刻した、練習や宿題ができなかった、準備が間に合わなかった・・・
などなどと言い訳するのは、ことばの力を借りて、
なにかがうまく行かなくて、下がるであろう、または下がった自分の評価を
少しでも補おうとする試みです。
たとえば「批判」。
「こうあるべき」と自分が描いた理想どおりの現実が見えないとき、結果が出ないとき、
人は、誰かを批判することで、その欠落を埋めようとします。
それは、時に、理解されていない自分の価値観を誇示するためであり、
また、相手に対する影響力を見せつけるためでもあります。
たとえば「悪口」。
誰かの言動が気に入らない、その存在そのものが気に入らない、というときに、
人は、その人の悪口を言います。
その人が存在することで害された自分の気分を、
悪口や陰口を言うことで修復しよう、埋めようとする試みでしょう。
しかし、その人がどんなに酷い人であれ、
その人の影響がおよばない立場にいる人なら、悪口など言いません。
気に入らないのは、自分自身がその人と変わらない、
もしくは、その人よりも下の立場にいるから。
つまり、その人の影響がおよぶ、同じ次元にいることが、気に入らなくて、
何とか自分の立場を高めたくて、その欠落を埋めるために悪口を言うのです。
ネガティブなことばで自分の欠落を埋めようとする行為は、実に不毛です。
ネガティブなことばは、受け手のエネルギーだけでなく、
自分自身のエネルギーをも奪ってしまう。
自分自身の欠落を、さらに大きなものにしてしまうのです。
ことばで欠落を埋めることはできません。
欠落を埋めることができるのは、行動だけです。
日常的に、言い訳をしたり、人の批判をしたり、
陰口や悪口を言う人に幸福な人、エネルギーにあふれた人はいません。
誰しも、(もちろん私自身も)
ネガティブなことばのひとつやふたつ、思わず言ってしまうものだからこそ、
肝に銘じておきたいものです。
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